どうも、しょうたろうです。
2024年8月にロサンゼルス旅行をしてきました。
色々あって行きは30時間(通常なら10時間)かけてロサンゼルスに到着…
なぜに30時間!?と思った方も多いと思うので、前途多難だった様子は後ほどじっくり解説したいと思います。
家族で海外に行くのは初めて。
英語はYesしか話せない僕にとってまさに未知の経験でもありました。
通常の旅行ではありない体験記を書いていくので、面白おかしく読んでいただければ嬉しいです。
プロローグ:崩れゆく予定
2024年8月、まだ暗い早朝5時。
寝不足の目をこすりながら、家族5人分の大きなスーツケース2つを抱え成田空港行きの電車に乗りました。
子供たちは興奮で目を輝かせ、妻は忘れ物がないか最終確認のリストとにらめっこ。
この時はまだ、これから始まる予想外の冒険に、僕たちは気付いていませんでした。
夏休み、ビジネスに没頭して子供たちをどこにも連れて行けていなかった僕。
せめてこの旅行だけは、と気合を入れて計画を立てました。
ロサンゼルス観光、ディズニーランド、メジャーリーグ観戦…。
子供たちが喜びそうな要素を詰め込んだ完璧な計画のはずでした。
しかし、人生は、往々にして計画通りには進まないものです。
成田空港に到着したのは朝9時前。
期待に胸を膨らませながらチェックインカウンターに向かった僕たちを待っていたのは、予想だにしない現実でした。
「大変申し訳ございませんが、本日のフライトは満席となっており…」
数日前に日本を直撃した台風の影響で、多くのフライトが欠航に。
その振替便で、僕たちの予約していた便は
完全なオーバーブッキング状態(予約以上にお客さんがいること)だったのです。
第1章:希望の光を求めて
「他の便は何とかなりませんか?」
航空会社のカウンターで、私は必死に代替案を探りました。
ユナイテッド航空、デルタ航空、ANAなど、4、5便ほどチェックしましたが、すべての便が満席。
ロサンゼルスに近いサンフランシスコ経由も検討しましたが、そちらも同じ状況でした。
時間だけが過ぎていき、子供たちの表情からも少しずつ明るさが失われていきます。
スーツケースの上に座り込んで、ぼんやりと空港の天井を見上げる長男。
まだ2歳の次男は、状況が分からないまま、ただ疲れた様子で泣き始めています。
「もう、帰ろうか…」
その言葉を口にした瞬間、小学生の娘が大きな声で泣き出しました。
夏休みのたった一つの楽しみが、こんな形で消えてしまう。
その現実が、幼い心を打ちのめしたのでしょう。
「ごめんね。悲しいよね…」
静かに尋ねる僕に、娘は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて答えました。
「思い出作りたかった…」
その一言が、僕の心に突き刺さりました。
ビジネスに追われる日々の中で、
どれだけ子供たちとの時間を後回しにしてきただろう。
この旅行は、そんな父親としての償いの機会でもあったのです。
第2章:突飛な決断
成田での5時間を無駄にするわけにはいきません。
僕は突然、思い切った提案をしました。
「羽田空港に行こう。そこからハワイ経由で行けないか探してみよう」
妻は「え?」という表情。
子供たちも状況が飲み込めていない様子でした。
確かに常識的に考えれば、無謀な作戦です。
でも、このまま諦めて帰るくらいなら、できることはすべてやってみたい。
そんな思いが僕を突き動かしていました。
成田から羽田まで1時間半の移動。疲れた体にカバンを引きずりながら、羽田空港に到着です。
ここでもロサンゼルス直行便は満席。
しかし、お盆のピークを過ぎていたハワイ行きの便には、わずかながら空きがありました。
「とりあえずハワイまで行って、そこから考えよう」
英語はほとんど話せない。
ホノルルでのホテルも確保していない。
ロサンゼルスまでの便の目途も立っていない。
リスクだらけの選択でしたが、
それでも少しでも近づけばなんとかなると信じて行動しました。
第3章:ハワイアン航空での発見
ハワイアン航空の機内は、想像以上に寒かったのを覚えています。
毛布を頼んだところ、「購入していただく必要があります」と告げられました。
これは賢い戦略だな、と感心したものです。
閉鎖された空間で気温を下げ、毛布の需要を作り出す。
ストレートな商売ですが、それでいて強制感はない。
エンターテイメントシステムも全て有料。無料サービスを最小限に抑え、必要なものは購入してもらう。
そのビジネスモデルに、アメリカならではの合理性を感じました。
7時間のフライトの間、僕たちはほとんど何もすることができませんでした。
Wi-Fiも使えず、映画も見られず、ただ黙々と時間が過ぎるのを待つしかありません。
それでも、窓から見える雲海の彼方に、
希望が待っているような気がしていました。
第4章:ホノルルでの試練
ホノルル空港に到着したのは現地時間で9時くらい。
しかし、ここからが本当の勝負でした。
日本語が通じない環境の中、僕たちは必死でスタッフとコミュニケーションを取ろうとします。
「OK」
「Thank you」
「Yes」。
この三つの単語と、ジェスチャーだけが頼りです。
ホノルルからロサンゼルス行きの便も、予想通り満席。
その時、掲示板に目を留めたのは偶然でした。
「OGG」という見慣れない空港名と、その先に「LAX」の文字。
カフルイ空港という見たことも聞いたこともない空港。
ハワイの離島にある小さな空港からロサンゼルスへの便が出ているとのこと。
行けるかどうかも分からない場所に向かうのは大きなリスク。
でも、それが唯一のロサンゼルスへいく可能性でした。
携帯電話は海外ローミングの設定ができておらず、インターネットも使えない状態。
ホテルの予約も取れず、先の見えない賭けに、家族全員の運命を託すことに…

第5章:カフルイ空港での奇跡
カフルイ空港は、想像を超えるローカル空港でした。
周りには山しかなく、まさにアメリカの田舎を象徴するような場所。
到着してすぐに分かったのは、
やはりここでもロサンゼルス便は満席だということ。
しかし、ここで出会ったスタッフたちの対応は、
それまでの経験とは全く異なるものでした。
「出発時間ギリギリまで待ってみて。キャンセルが出るかもしれないから」
スタッフ5人ほどが集まって、僕たちの状況を話し合ってくれます。
言葉は通じなくても、その真摯な姿勢に心が温かくなりました。
小さな子供を連れた外国人家族に、
ここまで親身になってくれる。
それは、マニュアル化された接客ではない、
人としての優しさでした。
そして出発5分前、奇跡は起きました。
「座席が空いたわ。今からブッキングを作り直すから」
しかも、スタッフたちは家族5人が隣同士で座れるよう、丁寧に座席を調整してくれたのです。
日本の空港での形式的な対応と比べ、
その温かさに胸が熱くなりました。
この経験は、ビジネスにおける重要な気づきも与えてくれました。
相手の立場に立って考え、臨機応変に対応する。
マニュアル通りの対応ではなく、
その場その場で最適な解決策を見つける。
それこそが、真のホスピタリティなのだと実感しました。

第6章:ロサンゼルスの夜
5時間のフライトを終え、ロサンゼルスに到着したのは夜遅く。
しかし、問題はまだ終わっていません。
当初予約していたホテルは、
行けないかもしれないと思ってキャンセルしてしまっていたのです。
街には既にホームレスの人々が路上で眠りについており、
日本では決して目にすることのない光景に、
子供たちも不安げな表情を浮かべています。
アメリカの現実を目の当たりにし、
文化の違いを痛感する瞬間でした。
ホテルのフロントでは、
タトゥーを入れた大柄なスタッフが、
最初は冷たい態度で対応します。
「No, no, no… You can’t check in. Your reservation was cancelled.」
しかし、疲れ切った子供たちの姿と、
僕たちの必死の思いが通じたのでしょうか。
スタッフは徐々に態度を和らげ、
空き部屋を探してくれ始めました。
そして最終的には、一週間分の滞在を確保してくれたのです。
外見や最初の印象で判断してはいけない。
この教訓も、アメリカという多様性に富んだ国ならではの学びでした。

第7章:アメリカの日常に触れて
滞在中、私たちは様々な文化の違いに出会いました。
街中の給水スポットでは、
600円もするペットボトルの代わりに、
誰もが自由に水を汲んでいます。
日本では少し気恥ずかしく感じるかもしれないこの行為が、ここでは当たり前。
環境への配慮と合理的な選択が、
自然な形で根付いているのです。
リサイクルや環境保護への意識の高さは、
先進国としての一面を感じさせました。
日本のように細かく分別するわけではありませんが、
むしろシンプルで分かりやすい。
複雑な規則よりも、実行しやすいシステムを選択する。
その考え方に、多くの示唆を得ました。

第8章:スポーツエンターテインメントの真髄
メジャーリーグの試合観戦は、僕たちの旅行のハイライトの一つとなりました。
ドジャースタジアムに到着した時、その規模に圧倒されました。
日本の野球場とは比べものにならない巨大さ。
駐車場から見上げる巨大なスタジアムの壁面には、
等身大を遥かに超える大谷選手の写真が掲げられています。
チケットを手に入れるのも一苦労でしたが、運良く良い座席が確保できました。
スタジアム内に一歩足を踏み入れると、そこは完全なエンターテインメント空間。
グラウンドでは選手たちが練習を行う一方で、
スタンドではダンスや音楽で盛り上がり、
まるでフェスティバルのような雰囲気です。
驚いたのは観客の多様性でした。
家族連れ、若いカップル、野球マニア、観光客…。
人種も年齢も様々な人々が、
同じユニフォームを着て一つのチームを応援する。
そこには不思議な一体感がありました。
食べ物の種類も豊富で、
単なるホットドッグやポップコーンだけでなく、
本格的なハンバーガーやメキシカン料理まで。
ビールを片手に試合を楽しむ観客たちの姿は、
まさにアメリカならではの光景でした。
試合が始まると、観客席からの声援は日本とは全く異なる様相を見せます。
ヒットが出れば総立ちで歓声を上げ、
ファインプレーには惜しみない拍手を送る。
その一方で、相手選手には容赦のないブーイングも。
感情表現の豊かさと率直さは、
アメリカ文化の特徴を如実に表していました。
大谷選手の打席では、スタジアム全体が特別な空気に包まれます。
この日、彼は1本のヒットを放ちましたが、
その瞬間のスタジアムの盛り上がりは凄まじいものでした。
日本人選手が、言葉や文化の壁を超えて、純粋な実力でファンの心を掴んでいる。
「現地での大谷人気は本当なんだ…」
その事実に、深い感動を覚えたのを今でも覚えています。
しかし、より印象的だったのは、
選手たちのプロフェッショナルとしての姿勢です。
試合の合間、大谷選手はベンチで次の打席に向けて真剣に戦略を練っている様子。
エンターテインメントとしての野球と、
プロスポーツとしての真剣勝負が、見事に融合していました。
試合後には、勝利を祝うファンたちがスタジアム周辺のレストランやバーに繰り出し、
街全体がお祭りムードに。
スポーツが単なる試合以上の、
コミュニティの結束点となっている様子が印象的でした。
一方で、日本の高校野球と比較して思うところもありました。
メジャーリーグの試合は、
確かにエンターテインメント性が高く、
観客を楽しませることに長けています。
しかし、甲子園で見られるような、
一球に命を懸ける緊張感や、敗者の涙に胸を打たれるような純粋なドラマ性は、
また違った形で心に響くものがあります。
「野球」という同じスポーツでも、
その捉え方や楽しみ方は文化によって大きく異なる。
その違いを実感できたことも、貴重な経験となりました。
子供たちにとっても、この試合観戦は特別な思い出になったようです。
帰り道、長男が「パパ、僕も大谷選手みたいになりたい」とつぶやいた言葉に、
スポーツが持つ夢を与える力を実感しました。


第9章:ディズニーランドで見た文化の違い
アナハイムのディズニーランドは、夜24時まで営業している活気あふれるパークでした。
日本のディズニーランドと比べて、アトラクションの種類自体には大きな違いはありません。
しかし、楽しみ方は明らかに異なっていました。
コスチュームを着た人は少なく、
みんながよりカジュアルに楽しんでいます。
周りの目を気にせず、自分なりの楽しみ方を追求する。
その自由さは、アメリカという国の特徴を象徴しているようでした。
スターウォーズのエリアは特に印象的で、映画の世界に入り込んだような没入感に、子供たちは大興奮。
ここでしか味わえない体験に、旅の苦労も忘れるほどでした。

第10章:心に刻まれた小さな優しさ
滞在中、最も印象に残ったのは、人々の何気ない優しさでした。
エレベーターでは、必ず誰かが私たち家族のためにドアを押さえていてくれます。
「Thank you」の言葉に必ず返ってくる温かい「You’re welcome」。
形式的な対応ではない、
本物の思いやりがそこにはありました。
タトゥーを入れた大柄な人々も、
子供たちに優しく話しかけてくれます。
見た目で判断せず、一人一人と向き合う。
その姿勢から、僕たち日本人も学ぶべきことが多くあるのではと感じたほどです。
レストランでは、英語が通じなくても、ジェスチャーと笑顔でコミュニケーションが成立。
時には注文を間違えることもありましたが、
スタッフは嫌な顔一つせず、
むしろ楽しそうに対応してくれました。
第11章:ロサンゼルスの街角で
都市の喧騒の中にも、
独特の魅力が溢れていました。
ビバリーヒルズの高級住宅街では、ヤシの木が並ぶ美しい街並みに目を奪われます。
しかし、その数ブロック先には、
路上生活者のテント村が広がっているという極端な光景。
貧富の差が顕在化している社会の現実に、
子供たちも戸惑いを隠せませんでした。
「どうしてあの人たちは家に住んでないの?」
その質問に、僕は明確な答えを持ち合わせていませんでした。
社会問題を子供たちにどう説明すべきか。
それは親としての新たな課題となりました。
街中では、様々な人種の人々が行き交います。
黒人、白人、アジア系、ヒスパニック系…。
そして、彼らは互いの違いを当たり前のように受け入れている。
その多様性の中での調和は、
日本では経験できない貴重な学びとなりました。
サンタモニカのビーチでは、地元の人々の自由な生活スタイルに触れました。
早朝からサーフィンを楽しむ人、ビーチでヨガをする人、思い思いの時間を過ごしています。
仕事と生活のバランスの取り方が、
日本とは大きく異なることを実感しました。
第12章:アメリカの生活文化に触れて
現地での生活を通じて、
日本との違いを多く発見しました。
トイレにウォシュレットがないこと、シャワーが固定式であることなど、
小さなことかもしれないけど最初は戸惑う点も多くありました。
トイレが詰まったときにはパニックでしたが、
フロントに伝えると
「あとで直しておくね〜」
と日常茶飯事の出来事のように処理してくれました。
しかし、それ以上に印象的だったのは、人々の生活に対する考え方。
レストランでは、税金10%にチップ15-20%が加算され、
60ドルの食事が結果的に100ドル近くになることも。
しかし、それを当たり前のものとして受け入れ、
むしろサービスの質を評価する手段として活用している文化は興味深いものでした。
食事の選択肢も面白い気づきがありました。
実はメニューに写真が載っていない店がほとんど。
だから、文字を見て食事を選ぶことが多かったです。
これは文化なんですかねwww
映える写真や画像で訴求しない、
シンプルにメニューを書く、
文字だけでサービスを提供する考え方は、ビジネスにおいても参考になりました。
第13章:新たな夢との出会い
ロサンゼルスでの滞在が後半に差し掛かった頃、
僕たちの心の中に新しい夢が芽生え始めていました。
それは、この街で暮らしてみたいという思いがけない夢。
きっかけとなったのは、僕たちの滞在中ずっとドライバーを務めてくれたボブさんとの出会いです。
1994年にロサンゼルスに移住し、
自身で運転手派遣会社を起業した日本人です。
初対面の時から、彼の人生哲学に強く惹かれました。
「僕が日本を出た時は、円高で1ドル80円。今みたいな状況じゃなかったんです。でも、やりたいことがここにあった。それだけです」
茶髪で陽気な性格のボブさんは、僕たちを案内しながら、自身の経験を惜しみなく語ってくれました。
「年収1億円あれば、ここでリッチな生活ができますよ。でも、5,000万円でも十分やっていけます。大切なのは、どんな生活を望むかです。」
深く刺さりました。
彼の話によると、ロサンゼルスの生活は収入と住む場所によって大きく変わってきます。
ビバリーヒルズやハリウッドヒルズのような高級住宅地では、年収1億円クラスが一般的。
一方で、アナハイムやロングビーチなどの郊外なら、
より現実的な予算でも快適な暮らしが可能とのことでした。
「日本の家を売って、ここに来る人も多いですよ。でも、最初から全てを投げ打つ必要はない。まずは半年とか1年とか、お試しで住んでみるのもいいですよ」
具体的なアドバイスは、私たちの漠然とした憧れを、より現実的な計画へと変えていきました。
気候の良さも、大きな魅力です。4月から9月まで雨が降らないという環境は、アウトドア好きの私たちにとって理想的。週末には家族でビーチに行ったり、ハイキングを楽しんだり。自然との調和を大切にする暮らし方が、この街では当たり前なのです。
教育面での可能性も、私たちを強く惹きつけました。現地校に通う日本人の子供たちが、生き生きと学校生活を送る様子。テストの点数だけでなく、個性や創造性を重視する教育システム。グローバルな環境で育つことは、子供たちの将来にとって大きな財産になるはずです。
「でも、英語ができないと…」という不安に対しても、
ボブさんは明るく答えてくれました。
「最初の1年は大変ですよ。でも、必要に迫られて使っているうちに、自然と上達します。それに、ここには日本人コミュニティもあるから、困ったときは助け合えます。」
実際、僕たちが訪れたリトルトーキョーには、
日本食スーパーや日本語を話せる医師がいる病院まであり、
初期の言語の壁を乗り越えるためのサポート体制が整っていました。
もちろん、課題もあります。
医療保険の問題、
ビザの取得、
子供たちの学校選び…。
しかし、一つ一つクリアしていける課題であり、
決して乗り越えられない壁ではないと感じました。
「日本に帰るたびに、こっちの生活が恋しくなるんです。自由さとか、のびのびした空気感とか」
ボブさんのその言葉に、私たちも深く共感しました。
日本の良さ、
例えば清潔さや治安の良さ、
サービスの細やかさは素晴らしい。
しかし、時として息苦しさを感じる社会システムや人間関係。
その束縛から解放され、
より自由な生活を送ることへの憧れが、確実に心の中で大きくなっていました。
「まずは、目標として5年後の移住を考えてみようか」
妻との会話で、漠然とした夢が少しずつ具体的な計画になり始めています。
英語の勉強を始めること、
収入を増やすこと、
子供たちの教育について調べること…
やるべきことは山積みですが、
それも含めて新しい挑戦の一部として、
前向きに捉えられるようになりました。
人生は一度きり。
やりたいことがあるなら、挑戦する価値がある。
この旅で出会った人々が教えてくれた、
その大切な学びを胸に、
新しい夢に向かって一歩を踏み出す決意をしました。
第14章:交通事情から見えた社会の違い
ロサンゼルスの交通事情は、私たちに多くの発見をもたらしました。
ハイウェイには「カープールレーン」と呼ばれる車線があり、
2人以上乗車している車両のみが使用できる専用レーンがあります。
環境に配慮しながら、効率的な移動を促す仕組み。
違反すると$450以上の高額な罰金が科せられますが、
それを守る文化が定着しているのです。
道路標識は極めてシンプル。
必要最小限の情報のみを大きく表示し、誰でも瞬時に理解できるよう工夫されています。
これは情報過多になりがちな日本の標識とは対照的でした。

第15章:子供たちの成長
一週間という短い滞在でしたが、子供たちの成長ぶりには目を見張るものがありました。
特に印象的だったのは、困難に直面した時の対応力の変化です。
長女(8歳)は、当初英語が通じないことに強い不安を感じていました。
初日のホテルのフロントで、
「Thank You」と言うのにも
緊張で声が震えていたのを覚えています。
しかし、3日目のディズニーランドでの出来事が、彼の大きな転機となりました。
スターウォーズのアトラクションで、
現地の子供たちと順番待ちの列に並んでいた時のことです。
「Hey, do you like Disney? Who’s your favorite character?」
突然話しかけてきた同年代の少年に、最初は固まってしまった娘。
しかし、大好きなディズニーの話題に、徐々に緊張がほぐれていきます。
「エルサdayo~!」
拙い英語とジェスチャーを交えながらも、なんとかコミュニケーションを取ろうとする姿。
「伝えたい」という気持ちが、
言葉の壁を超えていく瞬間を目の当たりにしました。
長男(6歳)も、独自の方法で異文化に適応していきました。
特に食事の場面での成長が印象的です。
普段の長男は、新しい食べ物に強い抵抗を示す傾向がありました。
しかし、In-N-Outバーガーでの経験が、彼の考え方を変えたようです。
最初は見た目の違う巨大なハンバーガーに尻込みしていた次男。
しかし、周りの子供たちが美味しそうに頬張る様子に触発され、
少しずつ挑戦する勇気が芽生えていきました。
「おいしい!」
その言葉とともに満面の笑みを浮かべた次男の表情は、今でも鮮明に覚えています。
それ以降、メキシカンフードやローカルフードにも、臆することなく挑戦するようになりました。
末っ子(2歳)にとって、この旅は言葉を覚える重要な時期と重なりました。
面白いことに、「Thank you」や「Bye-bye」といった英語が、日本語より先に口から出るようになったのです。
まだうまくしゃべれないので多分っwwww
特に印象的だったのは、
スーパーマーケットでのエピソード。
レジの女性に向かって突然「Thank you!」と元気よく言った時、
周りのお客さんたちが温かい笑顔で応えてくれました。
その反応が嬉しかったのか、それ以降、積極的に英語で挨拶するようになっていきました。
子供たちの適応力は、私たち大人の想像をはるかに超えるものでした。
言葉が通じなくても、
表情やジェスチャー、そして何より「伝えたい」という気持ちがあれば、必ず通じ合える。
その学びは、きっと彼らの人生の大きな財産となることでしょう。
また、兄弟間の絆も一段と深まりました。
見知らぬ土地での不安や戸惑いを、三人で支え合う様子が何度も見られました。
長女が長男の分までメニューを指さして注文したり、
長男が疲れた末っ子をあやしたり。
普段は喧嘩ばかりしている兄弟が、
お互いを思いやる姿に、胸が熱くなる思いでした。
文化の違いに戸惑うこともありました。
例えば、
アメリカの子供たちの主張の強さや、
自己主張の仕方。
最初は圧倒されていた子供たちも、
次第にその文化の良さを吸収していきました。
特に長女は、「自分の意見を言っていいんだ」という気づきを得たようです。
帰国後、小学校での発表も積極的になり、
「間違えを恐れない」という姿勢が身についてきました。
この一週間は、子供たちにとって何より「チャレンジすることの楽しさ」を学ぶ機会となったように思います。
見知らぬ環境で困難に直面しながらも、
それを乗り越える喜びを知った子供達。
その経験は、きっとこれからの人生の糧となることでしょう。
「また来年も行こうね!」
帰国前日、長男が言ったその言葉に、僕たち夫婦は思わず目を見合わせました。
困難な旅の始まりから一週間。
子供たちは確実に一回り大きく成長していました。
第16章:ビジネスパーソンとしての学び
この旅行は、一介の観光客としてだけでなく、ビジネスパーソンとしても多くの気づきをもたらしてくれました。
特に印象的だったのは、アメリカのビジネスカルチャーにおける「本質的価値の追求」という姿勢です。
サービスの本質を考える
例えば、ハワイアン航空での体験。機内は驚くほど寒く設定されていて、毛布を求めると「購入が必要です」と告げられました。最初は不親切に感じましたが、よく考えてみると、これは賢明なビジネス戦略でした。
必要なものには適切な対価を。
余計なサービスを付けて価格を上げるのではなく、
基本料金は抑えつつ、付加サービスは選択制にする。
この明快なビジネスモデルは、無駄なコストを削減しながら、顧客の選択肢を確保する方法として参考になりました。
意思決定の速さと権限委譲
カフルイ空港でのスタッフの対応は、特に印象的でした。
満席だった便に最後の最後で僕たち家族を乗せる判断をした時、
スタッフたちは上司への確認なしで即座に決定を下しました。
日本企業では珍しい、現場への大幅な権限委譲。これにより、状況に応じた柔軟で迅速な対応が可能になっています。結果として、顧客満足度の向上とスタッフのモチベーション維持を両立させているのです。
コミュニケーションの効率性
街中の標識や案内表示にも、ビジネスの本質を見る思いがしました。
必要最小限の情報を、最も効果的な方法で伝える。
例えば、高速道路の案内は極めてシンプル。
「Right 3 lanes MUST EXIT」
このような明確な指示は、運転手の迷いを最小限に抑えます。
日本の案内表示のように、あらゆる可能性を網羅しようとするのではなく、本当に必要な情報だけを強調する。
この考え方は、ビジネスコミュニケーションにも応用できるはずです。
働き方の多様性
現地で出会った日本人起業家たちの話も興味深いものでした。
彼らの多くが、「アメリカでは結果を出せば、過程にはこだわらない」と口を揃えます。
在宅勤務、フレックスタイム、副業…。
働き方の自由度が高い分、責任も重い。
しかし、その分明確な評価基準があり、実力主義が徹底されている。
このメリハリの効いたビジネス環境は、
今後の日本企業のあり方にも示唆を与えてくれるように思います。
顧客との関係性構築
レストランでの接客も印象的でした。
日本のような「お客様は神様」という一方的な関係ではなく、
むしろ対等なパートナーシップのような関係性を築いています。
ウェイターは友人のように気さくに会話を楽しみ、でも必要なサービスはしっかりと提供する。
このバランスが、かえって心地よい体験を生み出していました。
にしても、円安の中の食事代は高かった…www
第17章:帰国後の気づき
日本に戻って最初に食べたおにぎりの味は、格別でしたwww
一週間の異文化体験を経て、改めて日本の良さも実感します。
清潔で快適な設備、きめ細やかなサービス、安全な社会システム。
しかし同時に、日本の課題も見えてきました。
過剰なまでのサービス、
周りの目を気にしすぎる文化、
効率より形式を重んじる傾向。
アメリカでの経験は、当たり前だと思っていた日本の文化を、
客観的に見る機会な機会となりました。
エピローグ:新たな挑戦への一歩
成田での予想外のトラブルから始まり、ハワイ経由という強行軍を経て、ロサンゼルスでの充実した日々。振り返れば、その一つ一つが僕たちを成長させてくれました。
諦めないことの大切さ。
自分を信じることの価値。
文化の違いを受け入れる柔軟さ。
そして何より、家族で困難を乗り越えたことで、
絆がより一層深まったように感じます。
最終日、ハリウッドサインを眺めながら、息子が言いました。
「パパ、また来ようね。今度は、ここに住もうよ」
その言葉に、僕は大きく頷きました。
新しい夢は、既に動き始めていたのです。
いつか、このロサンゼルスで暮らす日が来るかもしれない。
その日のために、今の自分にできることを一つずつ積み重ねていこう。
そう心に誓った瞬間でした。
夢は、諦めなければ必ず叶う。
起業したときもそうでした。
そう信じられる勇気を、このロサンゼルスの街は僕たちに改めて教えてくれました。
(完)

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